11世紀、極東で『源氏物語』が書かれた頃、中央アジアではこの『幸福の智恵』が上梓されました。同時代とはいえ、まるで異質に見える二つの民族文学は、一つの点で共通点を持っています。『源氏物語』が漢文表現でなく日本独自の文字、平仮名を使うことによって国風の粋を極める民族文学として成立したように、『幸福の智恵』はアラビア文字(ローマ字と同じ表音文字)を利用してテュルクの言葉(カラ・ハーン朝テュルク語と呼ばれる中期テュルク語の一つ)で語ったテュルク系民族はじめての民族文学となります。
(以下、引用文の文頭の数字は、原書の章句の番号です。)

33、この書に感動した者も、テュルク語でかかれていることに驚いた者も、
  しっかりこの書を心にとどめておきなさい。


日本が中国文明に多大な影響を受けていたと同じく、イスラム化したテュルク人はペルシアやアラビア文明の強い影響下にありました。長い間、知識人はコーランの言葉、アラビア語を公用語とし、書物はアラビア語やペルシア語で書かれていました。しかし、当時の中央アジアのテュルク人が立てた王朝、カラ・ハーン朝が繁栄するにしたがい、テュルク人は自らの文化創造に欠かせない自分の言葉で自分の文章を書く必要に迫られました。ユースフ・ハース・ハ―ジブは、その先頭に立ってテュルク語をもって自らの精神世界を表現しようとしたのです。それがこの『幸福の智恵』なのです。

(本文)
6617、 わたしにはテュルクの言葉が野生のカモシカのように見えた、
     わたしは彼女を優しく捕まえ、わたしにひき寄せた。
6618、 わたしは彼女を愛撫し、彼女もすぐにわたしに心を傾けた、
     ただ、時々、彼女はわたしから離れ、怖れおびえた。
6619、 わたしがちょうど彼女を捉えたように、わたしは彼女の後を追った、
    すると麝香の香りがどんどん漂ってきた。



作者自身がテュルク語で書いた作品の苦労を上記のように表現しています。史上初めて自分の民族の言葉で自分の思想を書き綴ったという自信に満ちた、美しくも誇り高い詩句でもあります。

このような事情で、『幸福の智恵』は、中国新疆ウイグル自治区のウイグル人のみならず、トルコ共和国はもちろん、キルギスタン(著者ユースフ・ハース・ハ―ジブはキルギスにて出生した)、カザフスタン、ウズベキスタンなどのテュルク系民族共通の文化遺産として評価されています。
西ローマ帝国滅亡の後、ヨーロッパ周辺国がローマ文明のくびきであるラテン語からはなれてはじめて自分たちの言葉で民族叙事詩を記録したのは『幸福の智恵』が書かれた同じ11世紀から13世紀頃でしたが、それらとくらべても最も早い時期にこの作品は完成しています。フランスの『ローランの歌』、ドイツの『ニーベルンゲンの歌』、スペインの『エル・シードの歌』、ロシアの『イーゴリ遠征物語』など、それぞれの民族が誇り、宝としている叙事詩の位置を考えると、『幸福の智恵』の世界史的意味がより明確になるでしょう。